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やまでぇとミレー


本日からは市内ど近所のジャングリーな古いお屋敷のお手入れ。外周の樹木を主に手を入れます。


道路側から進めていきます。ちょっと作業し始めてしまった!と思いつつビホー。


ヤブガラシとともによく絡みついていたヘクソカズラ。ママコノシリヌグイと肩を並べる、えぇ・・となる名前の植物の一つ。葉や茎をもむとやや青臭いにおいが漂うので思わず鼻をつまむということから屁糞葛。ただ、このようにわしゃっと掴むだけでフレッシュリースのようなチャーミングな姿になってくれます。ちなみにママコノシリヌグイは全草に細かい棘があり、憎い継母の子供のケツを拭く葉っぱ、という由来があります。


あたりは国分寺台のお隣山田橋。旧山田橋村にあたり、一服時に施主から色々と昔のお話を伺えて興味深かったです。お祭りもあったし村独自の伝統もあった、みんな田んぼと山だったけど全て無くなって、その面影は地形と数件残る古い民家だけが伝えてくれます。


道路真ん中の緑地帯は現代日本の縮図。ムラサキツメクサなど最も身近な花々が見られます。ムラサキツメクサはシロツメクサ(クローバー)とともに明治時代に牧草として日本へもたらされたのちに野外へ逸出し、今では全国各地で見られるマメ科の多年草。


改めて立ち寄ってみた稲荷台1号墳記念広場。今年雪が積もった時に歩いているので涼しさも感じつつどうぞ↓

 

山田橋。色んな文献で山田(山台やまで)郷の端であったことが由来と書かれているのですが、山田郷がどこだったか未だにはっきりせず。ちょっと飛躍しますが、九州や畿内に力が集中していた可能性が高いとされる弥生時代中後期に、東海地方とかすっ飛ばして同時代同位の古遺物が散見されるのがこの辺り。江戸時代に流路を人工的に変えられて今は太平洋に注ぐ利根川が東京湾に注ぎ、その東京湾も今より各段に広く、現在の東京都区部のほとんどが海の底の古東京湾と、接するように千葉の印旛沼や手賀沼なども一つの海であった名残であり、現茨城の霞ヶ浦を含めて内陸西側まで香取海と呼ばれた広大な内湾が広がっていて、房総半島がほぼ島であった時代のお話です。


作業開始。バリバリやっているとヤモリさんが慌てて木から出てくる。家守と書いてヤモリ。正式にはニホンヤモリ。このヤモリも知ると面白くて、古い民家周りでよく見られるけど、自然度の高いところにはまずいない。かなり古い時代に大陸から人の移動とともにやってきて、以来人の生活圏で同居して独自の生活スタイルを築き、遺伝的多様性を増やしてきたとされています。ちなみにこのヤモリはトカゲの一種であり爬虫類、イモリはカエルなんかと同じ両生類です。


道路側まで掃除を含めて作業完了。思ったより枝葉の積み込み量が多く、片付けにちょっと時間がかかってしまった。HYOZOのゴヰチカ店番ラストデイだったのだけど、間に合わず。BILLOWの来千葉がまもなくあるのでその時に再び。


遅ればせながら入荷。愛知のGalaxy Trainよりミレーの枕子バンドの1stフィジカル作品が届きました。拠点は名古屋でミレーの枕子が率いるバンド、とのこと。ミレーの枕ってあのミレーの枕ですよね??(詰め替え用の。)ローカル愛を感じつつ謎が多い。


清く正しく美しく。そう生きるのは本当に難しい時代。