お庭改修のご依頼をいただき打ち合わせへ。
結構な雨風の中、ありがとうございました。
写真はお住まいではなくすぐ近くの小山の中です。
これ以上は立ち入り禁止。
林縁の赤道を少し歩いてみて、見かけたのはキランソウ(金瘡小草)とニオイタチツボスミレ(匂い立坪菫)の花ぐらい。
キランソウは別名で地獄の釜の蓋と呼ばれます。
古くは万能の生薬として利用されてきました。
折角なのですぐ近くの姉崎神社の社叢に立ち寄り、オドリコソウ(踊子草)の花を観てきました。
オドリコソウおよび姉崎神社の社叢(森)については貉とリップクリームなどで触れています。
写真は撮らずでしたが、上記の日記で存在意義含めて書いたタニギキョウ(谷桔梗)やミヤマハコベ(深山繁縷)も沢山生えています。
二種については丘陵地の深いところで頻繁にみられ、その辺りは熊谷草とお抹茶やスナヤツメ?のフォトギャラリーでさっと載せてます。
道路挟んだ林縁では山菜として知られるシャク(杓)の群生も。別名山人参。
こちらは個体数や生息地の減少が懸念されるとして、改定された千葉県レッドリストでは準絶滅危惧にあたる一般保護生物に新たに指定されました。
参考に、姉崎神社を中心として明治初期の古地図と比較(クリックで拡大します)。
当時は海岸線が美しいです。
更に帰宅前に、ふと思い出して市役所横の国分寺中央公園へ寄ってきました。
というのも昨年の3月末に書いた渦と縞という日記で、縞々!奇抜!と書いた植物がどこからどう見てもムサシアブミ(武蔵鐙)という植物だと後から気づいたからです。
ちなみに、ムサシアブミは生息地や個体数の減少が極めて著しいとして、千葉県では絶滅危惧ⅠA類にあたる最重要保護生物となっています。
市内でも珍しく、アカマツ(赤松)の純林が残る公園内。
写真の経過辿るとこの辺りのはずですが、、残念ながら最近機械で草刈りされたようで、跡形もなし。。生き残っているでしょうか。
そもそも本当に自生していたのか、植えられたものなのかも判らずじまいでした。
見栄えとかは気にせず、暦に倣った昔ながらの草刈りを一部でも良いので取り入れてほしいものです。
例によって古地図と比較。
公園内には往時の谷津地形が維持されていることが良く解ります。
また、公園造成時には一旦リセットされていると思われますが、周りの里山は全て赤松の林であったことが解ります。きのこ取り放題だったろうなぁ。
国分尼寺跡が発掘される前の時代。
ホトトギス(杜鵑草)が生えていることに初めて気づきました。
秋には花を咲かせるのかな。上はたらの二番芽。
おまけ
私の事務所を真ん中に置いたものと、養老川の川廻しのようすが良く解る比較地図。
古地図と今の地図を見比べるのは色々な発見があって面白いです。
今は誰~も通らないようなただの砂利道が実は当時の主要な道だったり・・。
関東一帯だけとはいえ、こちら歴史的農業閲覧システムから誰でも観られますので、みなさんお住いの今と昔を是非見比べてみてください~。
懐かしいのばかり聴いています。
では!
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