近所の蜂蜜おじさん(では決してないが)ことSさんが事務所の巣箱より採蜜し、天然のはちみつを作ってくれました!パンチが効いていて素晴らしい味でございます。ありがとうございます!ニホンミツバチたちもありがとう・・。
明日からの仕事の準備も完了。お手入れと付帯工事の準備へ。
少し野草観察。まもなく花を咲かせそうなナツエビネ。房総丘陵の沢の源流などに多い野草ですが、市原市では椎津川流域に自生地があったり、稀ながらも点々と見られます。
ROOTS白井さんからいただいたニホンハッカは子株がどんどん増えます。よくよく花を見ると、繊細なガラス細工のよう。
そのハッカへ水を滴らせる小さな池。これは羽化したばかりのハゴロモの仲間かな?背後にぼんやり映るのは浮遊しているムジナモとイヌタヌキモ。
牛久へ向かう途中に寄り道。昨年枯れかけたオミナエシっぽい植物を見かけたあたり。最近草刈りされたようで現状はわからず。もう少ししたらまた来てみよう。ちなみに市原市内のオミナエシの自生分布は正式な調査(2011年)の結果南部の南総地区に集中し、市内南端の石神あたりの二地点を含め、僅か三地点のみとなることがわかっています。
とても良さそうな湿地および草原に見えるのだけど、特筆すべき植物が何も見られない谷津。すぐ隣は耕作中の田んぼで、旗なんかも残っていたので、農薬の影響でしょうか。そもそも昆虫などの生き物の姿があまり見られません。
イノシシがガッポガッポやってできた水溜りにはシャジクモの仲間の発生が見られました。このシャジクモは植物ではなく、車軸藻類というグループの生物で、なんと節の一つ一つが大きな細胞でできているのです。普通肉眼では確認できない細胞をこんなに大きな姿で持つ生物は珍しいです。
違う谷津へ移動。林縁の山中に水神の祠。林内にはツチアケビの不気味かつデカすぎる果実ギョエー。ツチアケビは光合成を捨てたランの仲間で、地中の菌類から栄養をかっぱらう菌従属栄養植物のひとつです。また、水田雑草の一つであるミゾカクシの花がたくさん咲いていました、よく目立つかわいい姿の花。
放棄された谷津の奥の奥で嬉しい再会!浮葉植物のヒルムシロ。タイムリーな時期だけど花は咲かせておらずでした。最近はすっかり姿を消してしまった水草の一つです。背後には咲き始めのタマアジサイの姿もあり、どことなく丘陵チックな環境です。
ちなみにこの辺りは古い田んぼで、丸ごと上にある文章のような構造が見られます。先人がいかに元の地形に寄り添ってきたか、いや地心をよんでいたかがよくわかる。水がまっすぐ走らないように上下左右と立体的に力を分散させることがまず基本でした。それによって生まれる瀬や淵といった小さな環境差が生き物の大切な揺り籠ともなります。こちら↓より引用させていただきました。画像クリックで拡大もします。
田んぼ10年だより 第7号
http://www.ramnet-j.org/tambo10/tambo/tambonews/tambo10news07.pdf
また、こういった構造は、豪雨が来るとあちこちでしょっちゅう壊れますが分散されることで全部が壊れることはまず無く、簡単な修理で直すことができます。一方で西洋的な大きな擁壁や堤防などは滅多に壊れない一方、許容を超えて壊れた時は大規模に取り返しのつかない被害を生みます。なので、これからの時代は一旦立ち止まり、ちょっと振り返ってみて、名もなき先人が積み上げた知恵を建築や庭のみならず、都市計画に生かすべきだと思うのが私の考えでもあったりします。地下でどんな風に水が流れて(というか流れたがっていて)地形を変えているか見えますか?見えなければいつか町は崩れます。
こちらはあたりの尾根で一番高いところ。綺麗に草刈りがされたところに山神の祠を祀る社が建っています。昔の人の知恵をもう一つ、これはそんなに大きな構造物ではありませんが、昔の人がこういった建築等を建てるとき、礎石はもちろんあるとしてその礎石の下に焼き杭を何本も打っていたのをご存知でしょうか?打ってしまえばもう地面の中なので外からは見えなくなるけど、それは確かに地中にあります。現代で言えば、軟弱地盤にコンクリートのベタ基礎を拵えるにあたって、いくつか柱状改良を行うのと見た目的には同じ役割に見えます。往時ならば杭を打たずにグリ石などを詰めれば良いはずですが、それではすぐに泥やシルトが目詰まりを起こします。そう、焼き杭でなければいけない理由があるのです。これは力学などの物理のお話ではありません、答えが知りたきゃ微生物に聞いてください。わからないならそれらの工事が行われた古い寺社や家屋を調べ、周り数kmの環境がどうなっているかよく見てください。私が庭工事の際に穴を掘って有機物と一緒に竹炭を入れるのも原理的には同じです。また、金属を一切使わず木組だけで作られた伝統建築はほぼ、その礎石に固定せずただ乗っかっているだけ、という構造にも意味があります。現代の建築の構造計算上は成り立たない話です。が、現代の建築にはない「遊び」が絶対に必要なのです。とはいえ、目で見て頭で考えればわかることでもこれらはあくまで仮説です。でも無理に言語で証明せず仮説のままで良いこともある。・・長くなるのでまたいつか・・。
その先に佇む地蔵像の道標。左 たかくらミち、東 かさもりミち、右 きさら津ミち、とあります。この尾根は昔の街道だったようですね。
道は荒れてしまっているが・・この先は国道409号にいったんぶつかりそうです。栢橋(かやはし)ではなく萱橋村。享保十六年とあるので西暦で言うと1731年です。およそ300年前。
例によって、歴史的農業閲覧システムより今昔図引用。山神の三叉路を中心としてアップと引き。分断されつつも結構道の名残がありますね。区画整理された住宅地は孤高の限界集落であるときわ台。赤い色の道は国道。
その近くの国道沿い。車で通る度に気になっていた新しそうな石柱。趣味の悪い句碑かなんかかと思っていたらなんと道標。昭和の時代になぜ??ウォーキングの人用??面白い。
ちょうどその向かいは大きな産廃処分場ですが、かつては広大な萱場が広がっていました。茅葺屋根とかに使うカヤを集めるために維持されてきた草原です。木更津市の丹原地区との市境。見る影もありませんが、ムラサキ、アシタカマツムシソウ、キキョウといった今では信じられないような植物の名前が並ぶ。
こちら木更津市のネット上に公開されている資料から引用しています。
木更津市の緑の資源
https://www.city.kisarazu.lg.jp/_res/projects/default_project/_page_/001/002/789/20111221-173040.pdf
ムラサキ(ニホンムラサキ)はあえなく絶滅の判断が降りました。生薬のシコンとして、また古来より染料として利用されてもきました。紫色とはこのムラサキから得られた染料から名付けられた色名です。
上の資料はこれまた公開されている千葉県レッドデータブック植物・菌類編2009および2017改訂版より引用。
千葉県生物多様性センター・レッドリスト
https://www.bdcchiba.jp/reddatebook_redlist
#牛久にカフェを作りたいんだでコーヒーを一杯いただきつつ、里山トイレの様子を見てきました。諸々面倒を見ていただいてるようで嬉しい。ありがとうございます。
千葉県では確実な自生地が年々減っているキキョウ。自生のものは県の最重要保護生物に指定されています。いつか復活する日を夢見て。
ニューはちみつを使っていつもの私の朝飯を帰宅後に再現。え?これだけ?と思うかもしれませんが、日々これだけで十分です。何も怖いものはない。
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