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一本松


昨日から引き続き、千葉市にて松のお手入れ、黒松2本目。
どことなく知的生命体な振る舞いを見せるカマキリが慌てていた。


2本ともなかなか素敵な姿になったんではないでしょうか。


最後に大王松。アメリカンな風情で実際に原産地は北米。この巨大な一枝は何かに使えないもんだろか?といつも思うけど、何も思い浮かばない。


一服でお茶。カフェオレとのコンボでいただきました。ありがとうございます!
ホームページ見てます、と言われてなかなかキューっとなる。


無事にお手入れ終わり。この巨大な松葉も何か使い道はないものだろうか。。良い匂いするんですよね。そもそも松を手入れしていると脳に作用する成分があるのか、なんだかポワワ〜ンと不思議な気持ちになってきます。


今年二回目のお手入れでした。また来年もぜひよろしくお願いいたします!


思いのほか作業は早く終わってしまい事務所へ。片付けと準備をしつつ、日曜日の久留里ええもんいちに使う木を少し掘りとったり。

今年もムクロジの種がたくさん落ちてきました。よく泡立つ昔の洗濯洗剤です。

帰りがてら近所の山探し。実は上の記録のとおり、以前に訪れながらたどり着けなかった場所があるのですが、某エクストリーム写真家(笑)の情報を頼りに行ってみました。

 

天保年間に深川元儁なる人物により著された「房総三州漫録」において、以下の記述があります。

 

房總叢書第七巻地誌(二)(1942)に収録。

http://e-library.gprime.jp/lib_pref_chiba/da/detail?tilcod=0000000014-CHB600268#&gid=1&pid=1

 

「長柄郡吉地藏村にタケガヘウと云ふ高山あり、市原郡立野村に稲荷峯(トウガンヘウ)・養老峯(ヤウロウヘウ)、同郡引田村に中峯(ナカベウ)あり。」


引田の中峰はどれだ?


確かにあった神社らしきもの。中の様子を伺えたのは下の写真が限界ですが、地蔵のような石像が見えます。建物には丸に違い鷹の羽の紋があり。由緒は不明。


そのまま尾根を歩けば結構な崖っぷち。万代城址の一部となります。この下は立派な貝層がみられますが、今も土砂採取で崩されているようです。市東の瀬又では瀬又貝層プロジェクトなる計画を進めているので、ここもどうでしょうか?


近くで作業していた方に貴重なお話を伺うことができました。近くで山と呼ばれていたものは写真正面の浅間(センゲン)山、今自分が歩いてきたところは昔から神社とかはなくて一本松と呼ばれ、大きな松が生えていたそうな。


久留里街道中往還に乗ると、3段ピラミッド状の巨大な出羽三山塚。これは古墳を応用したものと思われ、東野塚という点名の三角点があります。
ワレモコウの花が一つ風に揺れていました。

少し進むとさらに大きな出羽三山塚。こちらも元は3段の方墳に見えます。


余談ですが、近くの海保大塚が大塚山としてヤマップの山頂ランドマーク(というもの)になりました!訪れる人が多くなりそうで嬉しい。こちらも古墳を利用した出羽三山の供養塚です。


墓地を過ぎて、荒れた峰の先に富士登山記念の石碑がポツンと立っています。大正時代のもので、宮原浅間講の名が読み取れます。


宮原村の浅間山だったのでしょうか。今は誰も訪れることがなさそうですが、かつてはここに神社があって、富士山の山開きのお祭りの時は賑わっていたと想像できます。


道に戻って、馬頭観音の古道標。左、江戸みち。


麓のお寺に立ち寄ると、ここにも出羽三山の参拝供養塔が立ち並んでいました。梵天もあり、近年も大切にされる風習なようです。最新は平成二十七年の引田と神代、両集落のもの。自分もいつかは、奥州詣に行きたいな。


結局、中峰はどこなんですかね。