牛久を美しくする会よりご依頼頂いていた河津桜を届けに行ってきました。
ちょびっとだけ自分も植樹のお手伝い。
代表の兒井さんは中房総薬草栽培推進会としても活動されています。
その辺は以前のブログ助っ人現る!ご参照。
竹の伐採を進め、養老川河川敷は大分明るくなったそうです。
河川敷の清掃を中心に、景観向上を目的として活動されています。
上流方面、正面にぽっこり見える小山は丸山公園。
下流方面も遊歩道が続くはずですが、竹が繁茂し通行不可となっています。
伐採した竹で竹炭作れたら・・、川沿いだから水の心配しないでも良いし。
ともあれ、少しずつ整備して、遊歩道を全て歩けるようにするそうです。
活動は月一回、小湊鐡道上総牛久駅周辺にお住まいの方でご興味のある方是非。
また、余談ですが、この先を進めば牛久城址(推定)にたどり着けるはず。
生き物の気配からも春を存分に感じました~。
せっかくなので公道から行ける所まで牛久城址に近づいてみました。
段々畑のような地形ですが、城の遺構なのかは不明。
ほとんど私有地内なので全貌はわからず。
時間もあるので丸山公園へ。
牛久駅から真っすぐ南へ歩いてすぐのところにあります。
こちらは丸山城址とか丸山砦と呼ばれています。
改変がどこまであるか解りませんが、複雑な地形をしています。
浅間碑が建つあたりは櫓台っぽくも見えます。
空堀かと思わせる大きな谷と沼、そして横穴井戸?
スダジイ(頭蛇椎)やモミ(樅)の古木が散見されます。
ただ、これはシイではなくモミだ。
牛久城とあるこんな標柱も。
というのも、以下の説があります。
①丸山城は独立した城郭ではなく、牛久城の出城もしくは砦だった。
②丸山城がむしろ牛久城主郭である。
③そもそも牛久城、丸山城推定地が間違いで、現市原高等学校の建つ地周辺が牛久城主郭だった。
いずれにせよ、伝承が残るのみで、今後何かしら発見されることに期待するしかないですね。
この公園は景色も良く、植生も豊かな素晴らしい所です。
ただ、牛久駅どころか、公園近くにすら公園自体の案内がない!のが玉に瑕。
丸山公園から養老川に降りてみました。
どちらも城であったとしたら、南側を流れる養老川は天然の堀として機能したはず。
水が滴る崖にはホトトギス(杜鵑)やムラサキケマン(紫華鬘)の新葉がみられました。
先ほど河津桜を植えた遊歩道から川に沿って歩ければここへ繋がります。
植木の積み込みに向かう道中。湧水。
タネツケバナ(種漬花)とハコベ(繁縷)。
なんでこんな写真を撮っているかと言うと、トラックの片輪が泥に完全に埋まって動けなくなり、助けを待っていたからです・・。
昨日のパンクに続いて大惨事だ!涙
というわけで、ご近所というだけで風呂の前里山保存会の中山さんに連絡し、公民館の館長さんなどに助けていただきました!本当にありがとうございます!!!
ちなみに、風呂の前ではカタクリ(片栗)の新葉が出てきたそうです(中山さん談)。
今年もカタクリの花咲くころが楽しみです。
というわけで、第三便の植木積み込み完了しました。
ひとまず明日現場へ搬入します。
実家の小さな森ではニリンソウ(二輪草)の新葉が顔を出しました。
千葉では頻繁には見られない野草ですが、普通種の地域では山菜として一般的なんだそう。
少し頂いてみようかな。
ちょこちょこ種を植えているので、新しく何が顔を出すか楽しみです。
どんどん増やせれば御の字。
ではまた~。
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